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【追悼】熊田陽一郎先生

中央大学名誉教授・熊田陽一郎先生が、2016年9月8日(木)に亡くなられました。享年八十八。
先生のご学恩とおだやかなお人柄をしのび、謹んで哀悼の意を表します。
中央大学大学院文学研究科哲学専攻
中央大学文学部哲学専攻
一 同
2016年9月13日

<中央大学文学部紀要第173号(哲学科 第41号、1998年2月)より>
熊田陽一郎先生を送る
須田 朗  
  熊田先生に初めてお会いしたのは、もう15年以上前のことだ。第一印象は、物静かな紳士、だったように思う。けれども、その静けさの根底に熱い心が隠されていることは、じきに知るようになった。先生は情熱の人である。
  神的なものへの畏敬と愛が、若い頃の先生の心を動かしていた。上智大学スコラ哲学科を卒業したあと、大病後にもかかわらず単身で渡欧。7年間にわたってフランクフルト神学大学と、ヴュルツブルグ大学で神学と哲学を学んだ。神的なものへの寄せる熱い想いがなければとても続かない長期留学だ。Licht und Schönheit bei Ulrich von Strassburg(「ストラスブルグのウルリッヒにおける光と美」)によって、先生はヴュルツブルグ大学で博士号を取得するが、この「美」と「光」こそ、その後の先生の主たる研究テーマとなった。20年後この最初の情熱の成果が、主著『美と光』(国文社、1986年)となって現れたのはご存じの通りである。
  帰国後先生は上智大学文学部で教鞭をとるが、象牙の塔にこもったりはしなかった。研究教育のかたわら、神父として教会で活躍されるが、実践へのやむにやまれぬ情熱が、ここでも先生を突き動かしたのである。
  このころ先生は奥様と出会った。上智大学の教え子であった奥様と結婚するために、先生は規則によって神父をやめられた。「美」の研究者たる先生は、別の意味でも情熱の人であった。「美しいものを見たものは、おののき、発熱し、これによって失われた翼の付け根がうずいてふたたび翼を生じ、真の実在の国へと飛翔しうるという」(『美と光』13ページ)。これはプラトンの「美」の描写を先生が要約した一節だが、先生の心もまた奥様をきっかけにイデアの世界に飛翔したのかもしれない。
  もうひとつ、先生の熱い心を示すエピソードがある。上智大学におられたころ、学園紛争が激化し、大学当局が学内に機動隊を導入した。そのとき、先生は学生をかばい当局に抗議してついに大学を辞職された。いつも弱者の側に立ち不正には断固とした態度をとる、いかにも先生らしい行動だと思う。
  先生は、神を愛し、奥様を愛し、学生たちを愛しただけではない。先生は武蔵野の自然をこよなく愛した。いや、いまでも愛している。上智大学退職後先生は桐朋学園大学をへて、1976年から中央大学に移られたが、中央大学の多摩移転にともなって、先生も大学の近く八王子市の南陽台に居をかまえた。世田谷区祖師ヶ谷で育った先生は、子供の頃に見た武蔵野の「原風景」をいまも心の奥底に抱き続けているのだが、ご自宅近辺の多摩丘陵にその「原風景」のなごりをみつけられたのである。先生がいかに武蔵野の自然を愛しているかは、名文「武蔵野考」(『プラトニズムの水脈』世界書院、所収)を読めば一目瞭然だが、先生がとったたくさんの多摩の風景写真をみても、そのことはよく分かる。ちなみに、先生は写真の名手である。
  書き出したらきりがないが、最後に私の個人的な思い出を1つ。1991年の夏、私は先生とウィーンの町を歩いていた。ヨーロッパ初体験の私には、当然のことながら教会の建築様式など少しも分からない。先生と一緒に都心の教会を片っ端から見て歩いたのだが、何のことはない、先生をガイド役代わりにして観光していただけだった。なにしろ先生はドイツ語はぺらぺらだし教会については知らないことはない。先生、どうもありがとうございました、この場を借りて改めてお礼を申し上げます。それにしても今反省してみると、「ゴシック聖堂の成立」(『美と光』所収)の著者である先生に、まったく初歩的な愚問をつぎつぎに浴びせて先生を困らせたのは明らかである。けれども、先生はそれを少しも迷惑がらず、むしろ喜んで教会建築の基礎知識を教えてくれた。該博な知識と、それにもかかわらず気取らないこのやさしさ。先生が学生たちに圧倒的な人気があるのも当然だなとつくづく感じた次第である。ディオニシオス・アレオパギテースの優れた研究者であり、私たち同僚や学生たちには優しい教育者であった熊田先生が大学を去られるのは、本当に淋しいかぎりである。とはいえ、先生は大学の近くにお住まいである。きっと今後も何かにつけ、われわれを指導してくださることであろう。先生がこよなく愛した武蔵野の自然のなかにわが研究室も、生まれ育ったのであるから。



◆熊田陽一郎先生 研究業績

  著 書
  • 美と光(国文社、1986)
  • プラトニズムの水脈(世界書院、1996)

  訳 書
  • ディオニシオス・アレオパギテース : 神名論・神秘神学(キリスト教神秘主義者作集1、教文館、1992)
  • H.シッペルゲス : ビンゲンのヒルデガルト―中世女性神秘家の生涯と思想(戸口日出夫共訳、教文館、2002)

  共 著
  • プロクロス(〝ギリシャローマの教育思想〟上智大学中世思想研究所、1984)
  • 神名としての最高類概念―偽ディオニシオス・アレオパギテースにおけるプラトン主義の一考察―(〝キリスト教的プラトン主義〟上智大学中世思想研究所、1985)
  • 超越的時間(新岩波講座〝哲学〟岩波書店、1986)
  • ヨハネス・スコートス・エリウゲナの思想(〝ケルト―伝統と民族の想像力〟中央大学人文研究叢書8、1991)
  • プラトン(〝人類の英知に学ぶ〟中央大学出版部、1997)

  論 文
  • Licht und Schönheit bei Ulrich von Strassburg,(Würzburg大学哲学科博士号取得論文、1966)
  • ストラスブルグのウルリッヒにおける美の概念について(中世思想研究10、1968)
  • 「ユダヤ教の精神とその運命」による考察(Horizont21、1972)
  • アウグスチヌスと人間の双頭の魂(カトリック研究22、1972)
  • 光と結晶―ゴシック教会の思想的意味(世紀274、1973)
  • 自然神学の意味について(桐朋学園大学紀要1、1975)
  • BonaventuraのItinerariumにおける存在と善について(理想511、1975)
  • 光の比喩か光の形而上学か?―ディオニシオスの光の思想(エピステーメー3/3、朝日出版社、1977)
  • 光の美学と調和の美学―西欧中世美学の一考察(美学108、1977)
  • 偽ディオニシオス・アレオパギテースの「神名論」―その構造と内容(中央大学文学部紀要89、1978)
  • ウルリッヒの美について(ラテン語との対訳:美学史研究叢書4、1978)
  • 西洋中世とプラトニズム(現代思想7-1、青土社、1979)
  • 神名形成の方法について(中世思想研究23、1981)
  • 神の自己開示―神名論の思想的モティーヴについて(美学史研究叢書7、1982)
  • 偽ディオニシオス・アレオパギテース「神名論」第1章の試訳と解説(中央大学文学部紀要113、1984)
  • 新プラトン思想による三位一体論の変容―「神名論」第2章の試訳と解説(中央大学文学部紀要121、1986)
  • 神の視について―キリスト教におけるシンボル形成(中央大学人文研紀要8、1989)
  • 新プラトン主義とユングの元型論(ユング研究2、1991)
  • ディオニシオス・アレオパギテスの神秘思想(中世思想研究35、1993)
  • 光、その自然学・比喩・形而上学(季刊iichiko24、1992)
  • ディオニシオス・アレオパギテースの思想(エイコーン10、1993)
  • ディオニシオスにおける祈りと思惟(中央大学文学部紀要155、1994)
  • ディオニシオス・アレオパギテースにおけるキリスト教言語と新プラトン的言語(東北大学科研費報告書平成4-5年度、1994)(これは若干訂正の上、パトリスチカ2、1995に転載)
  • 光と闇についての考察(季刊iichiko35、1995)
  • Die Übersetzung des Corpus Dionysiacum ins Japanische, Acte du Colloque International, Paris, 21-24, septembre, 1994, (Paris, 1997)


中央大学文学部教授 [哲学専攻]
 


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