道具としての英語だって・・・
久々の月三回目の更新、タイガーです。
昨日、TOEICなるものを久々に受けてきました。
英語の試験なんですが、リスニングとリーディングで200問。二時間。
中央大学の法学部では入学時に自分の英語能力を測るとかで、
クラス分けのために全員が受けます。
ま、僕は受けるの忘れましたけどね。
そりゃ入学式の前になんか行事があるとは思わないでしょ!
受験生の皆さんは来年、受け忘れないように。
とまぁ久々に受けて実感したのは語学力は蓄積だということ。
当たり前か。
もともと語学が嫌いで勉強しなかった自分が悪い。
大学受験を機に完全に手を抜いてきました。反省。
「英語は便利な道具みたいなものだから。免許と一緒であって困らないよ。」
というようなことを言われますが、道具か・・・と考えてしまう。
だって免許持ってませんもん。だから英語が嫌いなのか。
でもその感覚は分かります。コミュニケーションの範囲は広がりますもんね。
僕は人見知りですけど。
日本語だと同じ自由だけどlibertyとfreedomでは「自由」の意味がズレる。
そこには日本語で考えているだけでは分からない「自由」の顔が見えてくる。
ゼミで学んだハンナ・アレントは異なる考えを持つ人が存在する必要性を
世界を多面的に見ることが出来るから、と述べました。
誰一人として同じ人間が存在しないのもそこに通じると彼女は考えています。
僕に見える世界はあなたに見える世界と違って当たり前。
だからこそあなたと世界の見え方について語り合うことに意味がある、と。
語学にも同じような意味があると考えるようにします。
英語を学べばその思考に近づける、ドイツ語・フランス語・イタリア語・・・
翻訳で読むのと原書で読むことの違いもそこにあるのではないでしょうか。
最後に老婆心から一言。
くれぐれも受験生の皆さんは試験の時に「腕時計」を忘れないように!
だって腕時計持ってませんもん。


