中央大学 中央大学Webサイト
掲載バックナンバーはこちら

イキイキと活躍する学生・学員をご紹介 進取果敢

Yoshio Sasaki
佐々木 吉夫 氏(福さ屋ホールディングス株式会社 代表取締役社長/博多ステーションフード株式会社 代表取締役社長)昭32法

学員時報オンライントップ > ピックアップコンテンツ > イキイキと活躍する学生・学員をご紹介 進取果敢

努力、勇気、探求心、感謝の心で、「辛子めんたい 福さ屋」を全国区に

2019年1月22日


佐々木 吉夫 氏
福さ屋ホールディングス株式会社 代表取締役社長/
博多ステーションフード株式会社 代表取締役社長 昭32法

福岡・博多駅前に本社を構える福さ屋株式会社。創業者である佐々木吉夫氏は1978年(昭和53年)から本格的に辛子めんたいの製造・販売を始め、「辛子めんたい 福さ屋」を一代で全国的な有名店へと育て上げた。九州、大阪、東京に支店を設け、年商50億円を超えるまでに成長した経緯や経営哲学のほか、学生生活の思い出、社会貢献活動を続けるわけなどについてお話を伺った。聞き手は、学員会の髙嶋民雄事務総長と岡田孝子広報戦略WG委員(大和白門会支部長)。


<プロフィール>
佐々木 吉夫 氏(ささき・よしお)写真中央
1933年(昭和8年)北海道礼文島生まれ。1957年(同32年)本学法学部政治学科卒。国会議員の秘書を務める傍ら、1976年(同51年)に博多ステーションフード株式会社を設立して博多駅構内でスーパーマーケットを運営。1978年(同53年)に福さ屋株式会社を設立。商号の由来は、福岡の「福」と佐々木の「さ」。人生の師と仰ぐのは、司馬遼太郎の小説『菜の花の沖』の主人公で、北海道の発展に貢献した「高田屋嘉兵衛」。公正・公平で品質本位を第一に、「みな人ぞ」の心で人を大切にした嘉兵衛の商売の在り方にほれ込み、博多駅構内では嘉兵衛の名を冠した鮮魚店を営んでいる。

研究を重ねて独自の味を追求。
大手百貨店との契約を機に全国展開

高島 ご出身は北海道の礼文島ですね。

佐々木 生家は網元でしたが、戦後、漁業権の開放で一介の漁師になりました。「大漁しても貧乏、不漁ならなお貧乏」というような貧しい村で、「村で一番偉い村長になって村を豊かにする」との決意で中学を卒業すると島を出て道立高校に進み、牛乳配達のアルバイトと奨学金、居候先には出世払いにして、中央大学に進学しました。

髙嶋 卒業後、日本社会党の国会議員秘書を務められ、博多駅でスーパーを開業されたきっかけは何だったのですか。

佐々木 大学に国会議員秘書の求人情報が出ており、応募しました。議員秘書のとき、福岡選挙区の地域活動として、中小零細企業者の世話活動にも取り組んでいたので、1975年(昭和50年)、新幹線が延伸し博多駅まで開通したことで、構内にあった長旅相手のお風呂屋さんの経営が行き詰まり、世話活動の一環として私が引き受けたのです。そこで、共働き世帯の女性の利便に資するため、その日の台所食材と生鮮食品を主力に駅構内に賑わいを作ろうと、スーパーマーケット形式の総合食料品店を開業しました。

岡田 働く女性の味方のようなお店ですね。

佐々木 いまは駅ビルにスーパーがあるのは普通の光景ですが、国鉄時代の当時、主要幹線駅の構内にそんなお店はなく画期的なことでした。朝9時から夜9時までの開店で大変繁盛しました。

髙嶋 どうしてめんたいこを売ろうと思いつかれたのですか。

佐々木 めんたいこはスケトウダラの卵で、私が北海道の漁師の家に生まれたことが大きいと思います。この卵のキムチ漬けを辛子めんたいこというのですが、韓国はもちろん国内でも辛子めんたい風な漬け物を売っていた店はあったと聞いています。

岡田 他にもお店があったのに、なぜ「辛子めんたい 福さ屋」さんがこれほど有名になったのでしょう。

佐々木 スタッフに恵まれ、女房のひたむきな協力を受けて、どうしたらおいしい辛子めんたいこができるか、我が家が生臭くなるくらい試行錯誤を重ねて研究しました。まずはいい原料を使うこと。それと、東京の銀座並木通りで、辛子めんたいこの「どんたく屋台」を45日間やって宣伝に力を入れました。東京に進出して大手百貨店と契約を交わし、銀座四丁目に大きな広告を掲げ、テレビでも広告を流すなどして全国に販路を広げていきました。

恵まれ過ぎる幸せは、恵まれない幸せに劣る

髙嶋 時計の針を少し巻き戻して、なぜ中央大学に進学しようと思われたのですか。

佐々木 礼文島で村長になるつもりでいたので、法律や政治を学ばなければという思いがありました。それと授業料が安かったのも大きかった。友人が取り寄せた入学要項を借りて見たら、一番授業料が安いのが中央大学でした(笑)。高校の先生が、法律を学びたいなら中央大学がいいと勧めてくれて、中央大学に決めました。


 礼文島・番屋ツアー。白門三二会の25名が礼文島を訪れた(2018年7月)。最前列左から4人目が佐々木氏

岡田 東京では下宿されていたのですか。

佐々木 板橋にあった「至善寮」という中央大学の寮にお世話になりました。6畳間に3人。共同トイレで風呂は銭湯。風が吹けばバタバタと音がするような扉でしたが、寮費は月200円でした。1、2年生の2年間はアルバイトに精を出し、お金を貯めました。授業も専門科目は少なかったですから。その貯めたお金で3、4年生時の授業料や生活費などを賄い、アルバイトはせずに勉強に専念する計画を立てて実行しました。

岡田 食事も倹約なさっていたのですか。

佐々木 同室の者の飯炊きをして、その炭の余り火で自分の飯を炊かせてもらい、復員した兄からもらった飯盒に入れる。そこに天ぷら屋で買ってきた1皿10円の天ぷらカスを入れ、大学の食堂で無料のソース・醤油やお茶を使うなど、朝昼晩の3食分を賄うよう工夫して、支出を防ぎました。

髙嶋 そうした経験が、経営にも役立ったのでしょうね。

佐々木 そう思います。恵まれていなかったからこそ、ものを大事にするとか、感謝する気持ちが他の人よりも強いのかもしれません。恵まれないことも、一つの幸せではないでしょうか

社会貢献や大学支援は恩返しの思いから。
地域活性化の取り組みを

髙嶋 事業を成功させるにあたって、大切なのはどのようなことだと思われますか。

佐々木 まずは努力しかありません。「練習しても練習してもうまくならない。しかし、練習しなければ絶対にうまくならない」と言います。つまり、努力しろということです。事業も同じです。生鮮食料品のスーパーでは必ず売れ残りが出るため、私の居酒屋ではカレーを例にとると毎日のように具材が変わる、いわば気まぐれカレーを提供、魚が余ればシーフードカレーという具合に、ムダを出さないようにして……。野菜くずはスープのだしに、残りの食材は居酒屋で活用する。おふくろの味、節約の味ですね。

岡田 着眼点というか発想力が豊かですね。

佐々木 それは私が田舎者だからでしょう。皆さんは交通信号機を見ても何の疑問も感じないでしょうが、私が子どものころは礼文島に信号機はありませんでした。ですから、信号機を見て、色が変わる仕組みを考えてしまうんです。何を見てもそれが当たり前だと思わないのは、そうした環境で育ったからかもしれませんね。

髙嶋 中央大学へも準硬式野球部の後援会長をはじめ、さまざまな形で応援していただいていますね。

佐々木 中央大学には大変感謝しているんです。お金に苦労した学生時代、大学の食堂で、お茶、ソース、醤油、お皿、お箸、全部タダで使わせてくれました。また、大学独自の奨学金(月1,500円)を1年間活用させてもらいました。それらが私にはものすごくありがたかった。その気持ちをわずかでも表すことができればという思いです。

髙嶋 さまざまな社会貢献活動が評価され、2013年(平成25年)には紺綬褒章を受章されていますし、故郷の礼文島も支援されていますね。

佐々木 礼文島の全小中学校に「佐々木文庫」という名称で図書の寄贈や、教育振興のために寄付をしています。もちろん会社のお金ではなく自分のお金で。一昨年(2017年)も、島でボランティア体験をする人への宿泊施設「礼文番屋」の建設に協力させてもらいました。

岡田 生まれ故郷に恩返しをしたいと。

佐々木 そうです。この島は冬場は青物がなくなるため、水耕栽培やセラミック栽培の野菜工場を造る計画を行政が立てており、私も支援しています。村長になることは諦めましたが、これからもふるさと振興に協力していきたいと思っています。

髙嶋 最後に、これから中央大学がさらに発展していくために、アドバイスをいただければ。

佐々木 この国の直近の大きな課題の一つに、地方の活性化があります。大学にはぜひ「地方創生学部」を設けていただきたい。地方創生は、今後の日本の大きなテーマになると思います。大学で学んだ学生が休み期間に地方に行き、地域に密着した生活体験をして、活性化に向けて知恵を出す。そうした仕組みが機能すれば、日本全体が元気になると思います。

髙嶋 本日はありがとうございました。今後ますますのご活躍をお祈りしております。

▲TOP