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イキイキと活躍する学生・学員をご紹介 進取果敢

新政酒造株式会社 代表取締役会長 夫妻   佐藤 卯兵衛 氏 佐藤 惠子 氏 昭47商

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伝統を守りながらも革新を志す
次代へバトンをつなぎ、新たな挑戦へ

2018年(平成30年)6月26日


新政酒造株式会社 代表取締役会長 夫妻   佐藤 卯兵衛 氏 佐藤 惠子 氏 昭47商

秋田県にある新政酒造は、ペリーが黒船を率いて浦賀に現れる前年にあたる1852年(嘉永5年)創業の伝統ある日本酒蔵元だ。代々当主は「卯兵衛」を名乗り、佐藤会長はその七代目になる。商学部の同級生だったご夫人にもご登場いただき、母校への思いや経営姿勢、ご子息の改革への取り組みなどについてお話をうかがった。聞き手は学員会の髙嶋民雄事務総長。

<プロフィール>
佐藤 卯兵衛(さとう・うへえ)氏 ▶ 1949年(昭和24年)生まれ。新政酒造株式会社代表取締役会長ならびに株式会社秋田県酒類卸代表取締役社長。1972年(昭和47年)、本学商学部会計学科卒。同期だった惠子氏と結婚後、大手酒造メーカーなどで酒造りの修業を重ね、新政酒造株式会社に入社。1993年(平成5年)に社長、2012年(平成24年)に会長に就任。慣例に基づき2002年(平成14年)七代目佐藤卯兵衛を襲名。
佐藤 惠子(さとう・けいこ)氏 ▶ 1972年(昭和47年)、本学商学部経営学科卒。新政酒造で経営に奮闘する卯兵衛氏を長年にわたりサポートする。4歳から日本舞踊を始め、現在、日本舞踊猿若流師範、猿若聖花としての顔も持つ。

長年、先達が培ってきた
伝統を守ることを心掛けた

――お二人はどこで出会われたのですか。

会長 学科は違いますが商学部の同期で、中村常次郎先生のゼミで知り合いました。当時は学園紛争の真っ只中で、ロックアウトされて学校内に入れないこともありました。勉強したくてもできない、そういう時代でした。

夫人 授業中にヘルメットをかぶった人が突然入ってきて壇上で演説を始め、授業にならないこともありました。学校に入れないときは、喫茶店で友人たちといろいろな話をして時間をつぶすこともよくありました。大学近くの御茶ノ水や神田には居心地の良い喫茶店がたくさんあって、いい仲間にも恵まれ、楽しい時間を過ごしたことが思い出されます。

――会長は大学を卒業後すぐ奥様の実家である新政酒造に入られたのですか。

会長 いえ。1年ほど百貨店に勤めた後に結婚をして、大手の酒造メーカーで3年間修業をしました。新政に入った後も、秋田の醸造試験場で酒造りを学びました。私は一般的なサラリーマンの家庭で育ちましたから、蔵人と呼ばれる何十人もの職人が酒造りをする現場を目の当たりにして初めは戸惑いましたが、義父が器の大きなおおらかな人で、じっくり学ぶ時間を与えてくれました。ありがたかったですね。

夫人 若いころはあまりお酒も飲まない人でしたし、結婚間際まで私の実家の家業を知らなかったはずです。それが地方の古い造り酒屋を継ぐ決意をしてくれて、お酒も飲めるようになって。そうしたまじめで誠実なところを見て、父もこの人に任せておけば安心だと思ったのだと思います。

――社長になられたのはいつですか。

会長 44歳のときです。当時は今と違って日本酒市場での競争もそれほど厳しくありませんでしたし、業界全体の売上げも安定していました。そうした背景もあって、無理に冒険をして自分の色を出そうとするのではなく、先達が長年をかけて培ってきたものを大事にして、まずは伝統を守ることを心掛けました。私の代でこの会社をつぶすわけには絶対にいかない、そうした思いもありましたから。ですから、どちらかというと守りに徹しながら地道に進歩させていく、そういう経営でした。

後継者による改革をサポート
そのキーワードは「原点回帰」

――新政酒造といえば6号酵母が有名ですね。

会長 日本酒は酒米と水を混ぜたもろみを発酵させて造るのですが、発酵には酵母が重要な役割を果たします。6号酵母は低温発酵が可能な優良な酵母で、現存する国内の清酒酵母としては最も古いものです。この酵母を全国の造り酒屋に提供したことで「吟醸造り」が進み、兵庫の灘や京都の伏見など酒造りの中心は西日本だったのが、東北など寒冷地へと移っていきました。

夫人 五代目卯兵衛は優秀な人で、いまの大阪大学の醸造科でニッカウヰスキー創始者の竹鶴政孝氏と同窓で、同校では「西の竹鶴・東の卯兵衛」と呼ばれていたようです。

――そうした伝統ある新政酒造ですが、1992年(平成4年)に日本酒の級別制度が廃止されてから、業界全体が大きく変わったと聞きました。

会長 それまでの1級、2級という表示が撤廃されて、酒米の種類や仕込み方法などの特徴を各蔵がアピールするようになると、売れるメーカーとそうでないメーカーの格差が広がりました。日本酒離れの風潮や若い蔵人不足もあり、県内でも多くの酒造メーカーが廃業を余儀なくされました。日本酒の魅力を伝える新たな挑戦が求められたちょうどその時期に、東京で働いていた長男が戻ってきました。

夫人 東京大学文学部出身で10年ほどフリージャーナリストをやっていたのですが、ようやく家業を継ぐ決意をしてくれました。一度はまると、とことんまで突き詰める研究熱心さと、型にはまらない独創性を持ち合わせているので、家業に合っていると感じていました。

会長 まず広島の独立行政法人酒類総合研究所へ行き、相当勉強したようです。新政酒造や日本酒業界全体の課題や将来の方向性を含め、突き詰めて考えたとのこと。正直にいえば私には理解ができない部分もありましたが、決して思いつきや生半可な気持ちではないことは伝わってきましたので、2012年(平成24年)に社長を譲り、経営を任せることにしました。彼は、新政が発祥の6号酵母のみによる酒造りをはじめ、全量を手間のかかる生酛製法にして、原料米を契約栽培にし、木桶を増やし、一昨年には農業生産法人を立ち上げて山間部で無農薬自然栽培の酒米作りを行い、海外輸出の拠点作りに着手するなど次々と新基軸を打ち出しています。

夫人 酒造りだけでなく、海外の有名ファッションブランドとの連携など、新たな営業展開にも取り組んでいるようです。

――これまでの伝統的なやり方を変えることを、会長も容認されたのですね。

会長 伝統と革新ということでいえば、変わってはいけないものと変わらないといけないものがあるように思います。彼の取り組みは一見すると斬新なように映るかもしれませんが、進もうとしている方向は実は原点回帰です。6号酵母も生酛造りも木桶も無農薬栽培も、かつての酒造りの手法そのものなんです。現状に変化をもたらすという意味では革新かもしれませんが、伝統を壊すのではなくむしろ改めて良さを見直す、私にはそう映っています。

大学の“質実剛健”の教えが
今でも身体に染み込んでいる

――伝統と革新というお話がありましたが、中央大学の伝統というとどのようなイメージをお持ちですか。

会長 質実剛健でしょうか。少なくとも私が通っていた当時はそういう学風がありました。

夫人 私もまったく同感です。表面的なことにとらわれることなく本質を貫き通そうとする姿勢や生き方は、とても素敵だと思います。この大学に通って、そうした気風が自然に自分に染み込んでいったような気がします。

会長 自分を律する、あるいはわきまえるという意味もあるかもしれませんね。先ほどの話でいえば、伝統や革新を重ねながら、地に足を着けて守るべきものは守り、育てていく。質実剛健にはそういうイメージもあります。

夫人 自分本位で損得ばかりを考えてはいけない、そうしたことを学風として自然に教えてくれた学校でもありました。いまでも中央大学出身と聞くと、底流に同じものを感じ、いいお付き合いができるような気がします。

――いまの中央大学をご覧になって、何かお感じになることはありますか。

会長 変わるべきものと変わってはいけないものを、うまくバランスをとりながらつないでいくのは簡単ではありません。本来は守るべきものを、気付かぬうちに捨ててしまっているのはよくあることです。数字がすべてではありませんが、司法試験の大学別合格者数や箱根駅伝の成績などを見るとやはり少し寂しい気がします。また、大学のPRに中大出身の有名人を活用するのも一つの方法だと思います。外部に向かってしっかりアピールできる、大学が一丸となってそうした体制作りを進めてほしいと思います。

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