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イキイキと活躍する学生・学員をご紹介 進取果敢

芳井 敬一 氏(昭56文)

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「総合で上位」では勝ち残れない
「ここでは負けない」ものが強みとなる

2018年(平成30年)1月25日


芳井 敬一(よしい・けいいち)氏  大和ハウス工業株式会社 代表取締役社長

 学員時報では各界のリーダーとして活躍する中央大学学員を取材している。創刊500号の今号では、建設業界売上高トップの大和ハウスグループの指揮官として、昨年11月に大和ハウス工業社長に就任した芳井敬一社長に、学員会・髙嶋民雄事務総長と瀨川徹副会長がインタビューした。







<プロフィール>
 1958年(昭和33年)生まれ。1981年(昭和56年)、本学文学部哲学科教育学専攻を卒業。神戸製鋼グループでラグビー部に所属。1990年(平成2年)大和ハウス工業に入社、一般建築物の営業社員に。姫路、金沢で支店長を務めた後、海外事業担当、東京本店長、営業本部長等を歴任。2017年11月から代表取締役社長。

すべての分野で1位をめざす

――グループで約6万5000人の従業員がい らっしゃると伺いました。その総責任者としての重圧もあるのではないですか。

芳井 感じるものはありますが、重圧というものとは違います。なると思っていなかったので、準備運動もせずにいきなり、という感じです。ただし当社の場合、各事業セクトがそれぞれの責任を果たしていますし、私は素晴らしい先輩方に助けてもらっています。全体の総指揮者は樋口会長がされていますから、私もその中で、自分の責任を果たしていきます。

――今やどの業界でも、1位と2位ぐらいしか生き残れないとか、1位しかだめだとさえいう話もありまが、大和ハウスグループの売上は今期3兆7500億円を予想しているということで、建設業では堂々1位ですね。

芳井 確かに建設業では1位ですが、中身を見ていくと戸建住宅のトップは積水ハウスさん、賃貸住宅は大東建託さんが1位。ゼネコン分野でもグループ会社のフジタは準大手のポジションです。これは体操に例えると、鉄棒2位、鞍馬3位……諸々あって総合1位で優勝、という結果。これでは生き残れません。私はすべての分野で1位を取らなければだめだと言っています。現状で1位ではないのだから、どれだけのスコアをとれば1位になれるかのベンチマークはできるわけです。
 また、あらゆる分野で競争相手が変わってきています。当社のライバルも同業のハウスメーカーや建設業者だけではなくなりつつあります。それを踏まえ、必要があればライバルとも提携して競争に勝ち残らなければなりません。創業者は創業100周年のときには10兆円をめざせと仰っていました。樋口会長はそれを引き継いでおられる。そして我々もそれをどう実現していくか考えていかねばなりません。100周年まであと37年ですが、まだ4合目にも行っていません。でも、そのときに経営陣となる世代が、今続々と入社してきています。10兆円企業の経営者を創ることが、私たちの仕事でもあります。

常に真正面から行く

――文学部哲学科のご出身。昭和56年卒ですと、多摩の入学ですか。

芳井 最初の1年は駿河台で、グラウンドも寮も練馬にありました。
 2年生から多摩で、南平寮に移りました。私はラグビーの推薦で入ったので、セレクションに合格して、学部はどこへということになったのですが、私は子どものころから父に小学校の先生になれと言われていました。ですから、教育学部系でなければ東京の大学に行かせてもらえないと思っていました。哲学科に教育学専攻があったのでそこにしようと決めたのですが、意外に偏差値が高く、試験もがんばりました。
 ラグビー部では鍛えられましたね。練習だけでなく、日常生活の細かなことまで。本当に厳しい日々でした。セレクションで入った新入生は21人でしたが、半数以上が部を辞め、大学を去りました。人数が減っても、グラウンド整備 や掃除、買い出しなど仕事の量は変わりません。そして1人が失敗しても「連帯責任」。グラウンドで全員シゴかれます。くたくたになって風呂に入ろうとしても、先輩が入った後はお湯が3センチしかない。そんな毎日です。
 ある日、「明日、残った1年生全員で集団脱走しよう」と決めたことがあります。でも当日「俺は残る」と言いました。逃げてどうなるのか、と思ったのです。新幹線のホームで見送ってくれた地元の友達に合わせる顔がないし、戻ってから1浪か2浪して大学に入ってもまた同じではないか。だったらあと半年我慢しよう、と。仲間からは最初、裏切り者のように言われましたが、それでも私を入れて8人が残りました。2年生になった朝、トイレを出て歯を磨いているとき、仲間に「ようやく歯磨きができる余裕ができたなぁ」と言いました。まぁ理不尽な毎日で、でも、そこまでして辛さに耐えたのは何か。それはレギュラーになりたかったからです。3年生になって、14番の3色ジャージをもらったときは本当に涙が出ました。
 ラグビーで学んだことの一つは、物事に正対すること。斜めに走っている者にはいくらでもタックルできるけど、真正面からくる者は怖い。だったら自分は常に真正面から行こう、と。自分の評価は他人がすることですが、少なくとも自分はそのように心がけてきました。

――卒業されて、他社を経てから大和ハウス工 業に入られたそうですね。

芳井 ラグビーで神戸製鋼グループに入りました。3年ほど選手をやって引退し、会社には9年ほど勤めました。交通事故に遭って人生観が変わるようなことがあり、転職しました。31歳のときです。大阪本店の建築事業部に勤務の後、神戸の営業所に転勤。そこで所長をさせてもらっているとき、「支店長になりたい人は試験を受けろ」という制度ができました。上司の支店長から受けてこいと命ぜられ受けました。どういう基準だったのでしょうか、100人ぐらい受けて、そこから数人が支店長になりました。落ちるだろうと思っていた私も合格し、その後、支店を2カ所、そして海外勤務などを経て本社に赴任しました。営業所、支店勤務でつくづく思ったのは、私は人に恵まれていたということです。部下のみんなががんばってくれる。そのおかげで責任者としてよい結果を残せた。その積み重ねが、現在の立場なのだと思います。

「ここでは負けない」ものはあるか

――ところで、卒業生として母校・中央大学を どう見ておられますか。

芳井 私は母校を愛しています。ラグビーばかりであまり勉強はしませんでしたが、よい先生に恵まれた中大哲学科教育学を誇りにしています。でも最近の中大は、これといった特徴のない学校になっているのではないかと思えます。「法科の中央」と言っているのは年配の方で、今の中央って何なのだろうか、と。早稲田や慶応に負けて、MARCHの中で埋没していいのか。学生自身はどう思っているのか、それを聞いてみたい。確かに早慶のほうが有名だが、ここでは負けない、というものがあるのか。
 ラグビーをやっていた私からすれば、早稲田よりも帝京に勝ちたい。その世界のトップは帝京なんです。中大のラグビー推薦枠は十数名ですが、帝京はその倍以上。100名を超える部員がいるわけですから、レギュラーになるのはとても大変です。それでも、ラグビーで日本一になりたい高校生は帝京に入りたいと思う。私が考えるよい大学とは、そういう学校です。何事でも1位をめざしてほしい。OBだけでなく、現役生が誇れるものがある大学です。
 中大にはスポーツ、財界と各界で活躍されているOBがたくさんいらっしゃいます。そのあたりをもっと上手にPRして、「あの人が出た中央大学に行きたい」と子どもたちに思ってもらえる大学になってほしいですね。

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