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白門と東京五輪

ミュンヘン五輪 柔道金メダル 関根 忍氏

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中央大学は他とは違うのだ、と言われ続けた

2020 年に開催される東京五輪……わが中央大学の学生・学員の出場も大いに期待されます。このコーナーは、過去の五輪に選手、指導者あるいは裏方として活躍した学員に登場していただき、五輪と中央大学について語っていただくシリーズです。今回は1972年(昭和47年)のミュンヘン五輪で柔道・中量級で金メダルを獲得した関根忍氏(昭42法)にお話を伺いました。

身近に目標となる人がいたことが幸運

関根忍
関根忍氏
 私は子供のころから柔道をやっていて、インターハイでも準優勝(体重無差別)しましたが、大学で通用するとは思っていなかったので、地元の日鉱日立に就職しました。稽古は日立・日立工場の道場等に通っていましたが、そこにおいでになった中大のOBから「君は柔道を続けるべき。ぜひ中央大学に行きなさい」と勧められ、入学を決意しました。
 入学と同時に代々木寮に入りましたが、寮監の方がとても厳しかったことを今でもよく覚えています。
 大学には同郷の岡野功さんがおりました。彼は在学中に東京五輪(1964年)の中量級で金メダルを獲りました。高校時代から対戦の多かった岡野さんと私が同じ環境にいては、やりにくくないのかなどと言われることもありましたが、私はそのように考えたことはありませんでした。身近に目標となる強い人がいたことは私にとってかえって幸運でした。岡野さんはよく「お前には負けたくない」と言っていましたが、私も彼に勝とうと稽古しました。彼が走っているのを見れば、負けずに私も走りました。
 当時、世界で圧倒的な力を持っていた日本の柔道界では、五輪で金メダルを獲るのは当然と考えられていました。五輪よりも全日本選手権で優勝する方が上、という認識でした。私もそう考えていましたから、目標はあくまでも全日本での優勝。そこで、稽古の厳しい警視庁に進み、その思いが叶って1972年(昭和47年)の日本選手権で優勝、同年のミュンヘン五輪でも金メダルを獲得することができました。

柔道界も時代の変化の影響を受ける

 東京五輪でオランダのヘーシング選手が無差別級で金メダルを獲りました。彼の強さは突出しており、日本の柔道界は衝撃を受けますが、まだ日本のレベルは世界一でした。ところが、私が出たミュンヘンと次のモントリオールでは6階級のうち金は3つでした。これは日本のレベルが下がったというよりも、世界のレベルが上がってきたことの表れです。日本の柔道は勝って当たり前と言われた時代は、柔道のメダルといえば「金」以外ないという感じでしたが、最近では、銀でも銅でも、とにかくメダルを獲れればいいという風潮を感じます。でも私は、やはり「金」にこだわってほしいと思っています。
 近年、柔道の国際化が進み、日本人には不利なルールだと言う人もいますが、その変化に順応し、成果を残していってほしいと思います。

プライドを持ち、中大らしさを残して続けてほしい

 身近に強い人がいることも大切ですが、格闘技ですから、より多くの相手と稽古することも大切です。多摩に移転したことで出稽古が大変になっているようですが、なんとか工夫してもらいたい。OBとしては、今度の東京五輪に中大の選手が1人でも多く出場してもらいたいと思います。
 いまや、中大柔道部を取り巻く環境もずいぶん変わってきました。私の時代は、中央・明治・日本・天理が突出していましたが、昨今は新興大学が台頭し、大学をあげて環境の整備、有望な選手の獲得に力を入れており、勝つことが難しくなってきました。中大においても、大学が主体となって具体的な取り組みを行ってほしいと願っています。
 中大柔道部としては、今何を目指すのか、それをはっきりさせるべきだと思います。目標は勝つことでも、目的はそれだけではないのです。
 柔道はただ強ければいいというものではありません。かつて私たちが学生時代、「中大の柔道部は他とは違うのだ」ということを、監督やコーチ、先輩から何度も言われました。当時は「何が違うのだろう」と思いましたが、何度も言い聞かされているうちに、「違うのだ」とプライドを持ち、「違わねばならないのだ」と思うようになりました。
 「中大の柔道部員は礼儀正しくきちんとしている」とよく言われました。社会の環境が変化し、学生たちも昔とはずいぶん変わったとは思いますが、その伝統は今も残っていますし、これからも残してほしいと思います。

関根 忍(せきね・しのぶ)氏

1943年(昭和18年)生まれ。1967年(昭和42年)法学部卒業。1966年(昭和41年)に中央大学が全日本学生柔道優勝大会(団体)で優勝したときの主将。同年、個人ではアジア大会中量級で優勝。その後、警視庁に入り1972年(昭和47年)の全日本選手権で優勝、同年のミュンヘン五輪の中量級で優勝。警視庁主席師範を経て平成国際大学師範。東京都柔道連盟会長、講道館柔道9段(赤帯)。

2015年(平成27年)3月25日

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